フォトギャラリー~仏教の聖地巡礼~(5)

谷川 光昭
2025/7/22

サールナート~祈りの源流

四大聖地の一つサールナートはガンジス川の近くに位置し、その近くの都市ヴァーラーナシーはヒンドゥー教の聖地でもあります。この街では宗教を超えた祈りの原点を垣間見た気がします。

初めて訪れたガンジス川 子どもたちが凧揚げをし、お花を売っていた

釈迦の時代には完全にヒンドゥー教とは別の教えだった仏教が、大乗仏教が成立して以降、次第にヒンドゥー教の教えに近づいていったことがインド仏教衰退の最大の要因だということです。ほぼ同じ教えを説いた宗教が二つあっても意味がありませんから、いつのまにか仏教はまわりのヒンドゥー教に吸収されてしまったのです。

『集中講義 大乗仏教』 佐々木閑 NHK出版 2017年

佐々木先生の講義を受けた際に印象に残っているのが、仏教がヒンドゥー教に同化してしまったということです。長い年月でお釈迦様の生きた時代から仏教も変容を重ね、ついにはヒンドゥー教と一緒になったということに驚きながらも、今回の巡礼の旅で実際にその土地の風土に触れて妙に納得しました。

ヒンドゥー教の神様にも仏教の仏様の名前がついており、例でいえばヒンドゥー教の創造神ブラフマーは仏教では梵天と呼ばれていて、神様と仏様が共通しているのです。そして肌感覚ではありますが、インドでは暮らしと信仰が密接につながっていて、宗教の枠組などはほとんど関係ないようにも感じました。

人々の祈りがあつまるガンジス川

早朝のガンジス川での沐浴風景
聖なる川、ガンジス川へ向かう

多くのヒンドゥー教徒や仏教徒がこのヴァーラーナシーを訪れていましたが、目的はやはりガンジス川です。聖なるとも川呼ばれ、ガンジス川で沐浴をする人の姿をテレビなどで見たことがある方もいらっしゃることでしょう。

ガンジス川からプージャーを眺める 船がひしめき合うほど人が集まっていた

夕暮れとともに川には人が集まり、日没とともにプージャーと呼ばれる儀式が行われていました。プージャーはサンスクリット語では「pūjā」といい、日本語では供養の語源であると教えて下さったのは円覚寺の管長様でした。

わたしたちはそのプージャーの光景を川から眺めていたのですが、河岸の階段を埋め尽くさんとする一万人はいるのではと思える人の数たるやすさまじいものでした。

楽器の音色が鳴り響く中、礼拝僧が祭壇の上で踊り、花やお香を川に捧げる姿に見入るばかりでした。

楽器の音が鳴り響く中、光った傘の下で火を川に捧げている

話には聞いたことはありましたが、実際に早朝から沐浴をする人、川岸で火葬される風景、大河のよどみない流れ、そして川に向かい祈る人たちを目の当たりにして、祈ることの尊さを実感しました。

大河に向かって火を献じる

現在の日本でもお仏壇やお墓ではお花を供え、ろうそくに火を灯し、お線香を立ててお参りをします。2500年以上もの時を超え、そして地理的な空間も飛び越え、わたしたちはプージャーと呼ばれる儀式と同じように供養をしていることに気付きました。

お花、火、香を捧げるプージャーの様子に圧倒されるばかりでしたが、これこそもっとも原始的な供養の姿であり、人間がもつ供養のこころ、そのものなのではないかと思えてなりません。結局のところ、時代や国境、それどころか宗教が変わったとしても、人としての原点は同じところに根ざしているのではないでしょうか。

※本連載は、神宮寺報「山河」014号に掲載されたものを加筆・修正したものです

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