フォトギャラリー~仏教の聖地巡礼~(4)

連載「フォトギャラリー~仏教の聖地巡礼~」(全7回)は、初めてお釈迦様ゆかりの地を訪れた僧侶の聖地巡礼の旅を、写真と共にたどる旅行記です。驚きと感動に充ちた体験を、写真を交えながらお伝えできればと思います。
ブッダガヤ~祈りがあつまり、聖地となる
お釈迦様がお悟りを開かれたブッダガヤはまさしく祈りの場でした。悟りを開かれたその場所には紀元前3世紀にアショーカ王がお寺を建てられ、現在の大菩提寺の原型になったといわれています。
『西遊記』などで日本人にもなじみのある三蔵法師が、7世紀にこの地を訪れた時には、現在の大菩提寺とほとんど同じ様相であったといいます。

この大菩提寺には50メートルを超える大塔が堂々と構え、目を引きます。しかし、この巨大な塔も19世紀に発掘されるまでのおよそ600年もの間、イスラム教徒の破壊を免れるために仏教徒により土に埋められ隠されていたといいます。
当時の人たちの何としても仏教を守らなければという想いが、これほどの塔を泣く泣く埋めさせたのかと思うと感嘆せずにはいられません。

塔の周りには観光客以外にも、お経を唱える人や坐禅をする人、法話を聴きに集まった人、五体投地の礼拝をする人などいろいろな国から集まった人たちでいっぱいで、多くの人達の祈りにつつまれ、そこはまさしく「聖地」そのものでした。
長野市の善光寺や京都の清水寺などの寺院にも観光客がたくさんいますが、そういったお寺とは雰囲気を異にして、大菩提寺、そしてこの場所そのものが祈りの対象となっている様相でした。


大菩提寺の和尚様が、わたしたちのために大塔脇に青々と茂る菩提樹の下に、坐禅をするスペースを空けて下さり、わたしたちも他国の仏教徒に混ざり坐禅をし、ひとりの仏教徒としてお釈迦様と同じ場所に坐ることができました。


ブッダガヤでは、わたしたちのように日本からだけでなく、世界中から人が集まり、みんなが同じようにお釈迦様の生涯に思いをはせていました。
現代の日本では、礼拝《らいはい》という行為そのものが縁遠いものになってしまっていて、聖地巡礼という言葉ですら本来の意義を離れ、何か観光めいた言葉になってしまっているようにも思えます。
しかし、今回実際にブッダガヤを参拝して、聖地とは祈りの場所であるということを肌で実感しました。聖地巡礼とはその言葉のとおり、紛れもない「聖地巡礼」なのです。
そして、それは日本のお寺でも本来、変わることはないはずです。お釈迦様の教えのあるところが、修行の場であり、悟りの場であることを再認識させられた、そんなブッダガヤでした。
※本連載は、神宮寺報「山河」014号に掲載されたものを加筆・修正したものです