漢詩徒然草(43)「圍碁(2)」


幽庭風露對秋淸 幽庭の風露 秋清に対す
誰亦今宵同此情 誰か亦 今宵 此の情を同じくせん
棋敵時來携密計 棋敵 時に来りて 密計を携う
丁丁月下白元聲 丁丁 月下 白元の声
幽庭 … 幽玄な庭
秋清 … 秋の清々《すがすが》しさ
棋敵 … 碁を打つ相手
丁丁 … 碁石を打つ音の形容
白元 … 碁石
今回の詩は、私の作ではありません。前回、予告したとおり、私の教室の生徒さんの作品です。碁を打つのが大好きで、囲碁の詩をよく持ってこられる方なのですが、今回はその中の3作を紹介したいと思います。
3作すべて、囲碁を題材にしてはいますが、その主題(テーマ)は、それぞれ別のところにあります。同じ題材の詩を詠むにしても、そこにある詩情が何であるかによって、当然、その内容は違ってきます。
それぞれの詩に、どのような感慨が託されているかに注意して読んでもらうと、それらが読み手にまったく違った印象を与えるということが、よくわかると思います。
幽庭風露對秋淸 幽庭の風露 秋清に対す
誰亦今宵同此情 誰か亦 今宵 此の情を同じくせん
時節は初秋。夜の帳《とばり》が降りた幽玄なるその庭の先には、涼やかな風と露があります。そんな秋の清々しさに浸《ひた》っていると、この秋の夜の風流を誰かと一緒にしたくなります。
棋敵時來携密計 棋敵 時に来りて 密計を携う
丁丁月下白元聲 丁丁 月下 白元の声
そう思っているちょうどそのとき、囲碁仲間が秘策を携えてやって来ました。まさに、この夜を存分に楽しむ好機到来です。さっそく縁側にともに碁盤を囲むと、月の光のもと、その庭には小気味よい碁石を打つ音がパチンと響きわたるのでした。
起句では、秋夜の庭の素晴らしさを詠い上げ、承句では、その情景を受けてこのあとの展開を暗示します。転句で、いよいよ満を持して友人が登場して、結句では、月の光と碁石の音という視覚と聴覚の調和を以て、その対局の場を演出します。
四季にはそれぞれの風物がありますが、秋の夜ほど清らかさを感じる時間はないでしょう。お月さまも観戦する対局とは、なんとも贅沢な時間ではないでしょうか。
春復尋來客不臻 春は復た尋ね来《きた》るも 客は臻《いた》らず
曾圍棋局自生塵 曾《かつ》て囲む棋局 自《おのずか》ら塵を生ず
始知君去風流絕 始めて知る 君去りて風流の絶ゆるを
把子閑敲聲入神 子を把《と》って閑《しず》かに敲けば 声は神《こころ》に入る
棋局 … 碁盤、囲碁の勝負
春復尋來客不臻 春は復た尋ね来《きた》るも 客は臻《いた》らず
曾圍棋局自生塵 曾《かつ》て囲む棋局 自《おのずか》ら塵を生ず
時節は初春。春はまたやって来ましたが、ともに囲碁を楽しむ客はやって来きません。季節は必ず廻《めぐ》って来ますが、人は必ずしもそうではないのです。かつては二人でよく囲んでいた碁盤。しかし、今ではホコリがうっすらと積もっています。
始知君去風流絕 始めて知る 君去りて風流の絶ゆるを
把子閑敲聲入神 子を把《と》って閑《しず》かに敲けば 声は神《こころ》に入る
対局の機会がなくなってはじめて、それが何ものにも代え難い風流な時間だったと知ることができました。相手のいない碁盤を前に、一人、徐《おもむ》ろに碁石を打つと、その反響は心の奥底まで沁み入ってきます。
1首目と同じく結句は、碁石の音の響きで締めくくられますが、それがまったく違う音だとわかるはずです。それは、その音が作者の心情を代弁しているからに他なりません。
囲碁は二人で打つものですが、たとえ相手がいなくても囲碁の詩は作れるのです。むしろ、その方が、より感傷的に心に訴えてくるものがあるとわかるのではないでしょうか。
相對白頭棋局前 相《あい》対す白頭《はくとう》 棋局の前
奇兵秘策巨防穿 奇兵の秘策 巨防を穿《うが》つ
榮枯轉變如人世 栄枯転変 人世《じんせい》の如し
一劍千磨戰百年 一剣 千磨して 百年を戦う
白頭 … 白髪《しらが》頭
奇兵 … 奇襲の部隊
巨防 … 要害
相對白頭棋局前 相《あい》対す白頭《はくとう》 棋局の前
奇兵秘策巨防穿 奇兵の秘策 巨防を穿《うが》つ
時節はいつでしょうか。再び白髪頭の二人が盤上に相《あい》見《まみ》えます。実力伯仲、両軍は一進一退を繰り返します。このまま膠着状態が続くかと思いきや、緊張の綻びが生じたその瞬間、秘策が功を奏し、たちまち奇襲部隊が敵の要害の地へと攻め入ります。ここに均衡が崩され、戦況が大きく動いたのでした。
榮枯轉變如人世 栄枯転変 人世《じんせい》の如し
一劍千磨戰百年 一剣 千磨して 百年を戦う
目まぐるしく変わる盤上の栄枯盛衰は、まるで人の世のそれのようです。長年をかけて囲碁の修練を積むように、人生もひたすらに一剣を磨き上げ、生涯を戦い続けるに違いありません。
起句と承句では碁盤を囲む二人と、その対局の展開が描写されますが、これは結句の伏線です。転句では、それが人の世と同じであることが述べられ、結句では、それらの道がどうあるべきかが導かれます。
今回の詩は、碁に親しみ友と切磋琢磨することは、人生の修養と同じであるというテーマです。囲碁の対局に人生訓を見るとは、なかなか高潔な詩情ですが、普段から囲碁に対する見識や熱意がないと、このような詩は思い付かないでしょう。
以上、囲碁の詩三首を紹介しましたが、三首が三首とも、まったく違うストーリーであるのがわかると思います。
人の思いは、時に随《したが》い場に応じて生じます。詩は、同じ作者、同じ題材のものであっても、時と場所によって自ずとその内容は異なり、その時その時の心の現れになります。一度として同じ盤面はないのと同じように、一度として同じ詩情はないのです。
「三多《さんた》」という言葉があります。これは古来、文学の上達の秘訣とされていて、「多読」「多作」「多商量」の3つがそれに当たり、「多くを読み」「多くを作り」「多くを考える」ことです。
この中の「多作」ですが、多くを作るといっても、同じような内容のものをいくら作っても意味がありません。同じ内容の詩を作っているということは、すでに知っている知識だけて作っていて、そこに詩情や感動はないということです。
長年、漢詩を作っていると、同じ詠題(決められた題で詩を作ること)で作詩することも多いのですが、そのうちネタが尽きてしまい、思いつく語ばかりを使い、同じような内容になる場合が多いのです。しかし、これは詩情を置き去りにして、安易に言葉を並べているだけに過ぎません。
それでは、ただの徒労です。これは文学だけでなく、すべての創作や仕事に言えることです。たとえ同じことをやっていても、その中に絶えず新しい学びがなくてはなりません。そうするには、まず自身の心をしっかりと見据え、その対象に対する今現在だけの思いを見つけ出すことです。
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幽庭風露對秋淸 幽庭の風露 秋清に対す
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誰亦今宵同此情 誰か亦 今宵 此の情を同じくせん
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棋敵時來携密計 棋敵 時に来りて 密計を携う
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丁丁月下白元聲 丁丁 月下 白元の声
平起式、「淸」「情」「聲」下平声・八庚の押韻です。
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春復尋來客不臻 春は復た尋ね来《きた》るも 客は臻《いた》らず
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曾圍棋局自生塵 曾《かつ》て囲む棋局 自《おのずか》ら塵を生ず
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始知君去風流絕 始めて知る 君去りて風流の絶ゆるを
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把子閑敲聲入神 子を把《と》って閑《しず》かに敲けば 声は神《こころ》に入る
仄起式、「臻」「塵」「神」上平声・十一真の押韻です。
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相對白頭棋局前 相《あい》対す白頭《はくとう》 棋局の前
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奇兵秘策巨防穿 奇兵の秘策 巨防を穿《うが》つ
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榮枯轉變如人世 栄枯転変 人世《じんせい》の如し
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一劍千磨戰百年 一剣 千磨して 百年を戦う
仄起式、「前」「穿」「年」下平声・一先の押韻です。
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