自然の中の子どもたち ~お寺キャンプ

谷川 光昭
2024/8/1

お寺でキャンプ!?

小学校が春休みに入った3月、お寺で子どもたちを対象としたキャンプを開催した。キャンプといっても、一般的に想像するレジャーとしてのキャンプではない。

子どもたちが自分たちの手で火を熾《おこ》し、一晩過ごすテントを建て、竹を切り出して食器を作り、使い慣れない包丁で野菜を切り、地図を見ながら山へ登るなど様々な自然体験をしてもらうためのキャンプである。大人はその手助けをするだけで、実際におこなうのは子どもたちだ。

プログラムを通して、普段の生活ではできないようなことを子どもたちに体験してもらいたいと願い企画した。また、お寺でのキャンプなので、子どもたちには坐禅や鐘撞きなども体験してもらった。

しかし、そんなプログラムを提供する側のわたしも、子どもたちの持っている力に圧倒されてしまった。実際に感じた子どもたちの力について少し記してみたい。

キャンプという非日常生活

キャンプの初めに、2日間を通してみんなからこう呼ばれたいというキャンプネームを決める。名前であったり、あだ名であったり、そのキャンプネームでお互いのことを呼び合う。大人のスタッフも「ピーマン」などのあだ名がつけられ、わたしはといえば「もくぎょ」である。

「くん」や「ちゃん」、「さん」などをつけずにキャンプネームで呼ぶことで、学校や家庭ではない違う場所へ来たことを再確認する。また、初対面で緊張していても、お互いのキャンプネームを呼び合うことで新しい関係も生まれ、お互い親しみもわいてくる。

わたしもキャンプの間は寺の住職という立場など関係なく、子どもたちからも気兼ねなく「もくぎょ」と呼ばれていた。

自然の中では、みんなが平等なのだということ実感する。子どもたちはと言えば、最初の緊張した面持ちはどこへいったのか、いつの間にか全力で遊んでいる。

そんな和気あいあいとした雰囲気の中で、先述したようなたくさんの自然体験をすることができた。

思いやりが多数決をくつがえす

一番のメインプログラムは裏山への冒険ハイキング。子どもたちには山への地図が手渡され、地図を見ながら相談し合って進む道を決める。大人は後ろからついてくるが、決して道は教えてくれない。それでも1時間半程かけて、急な山道にも負けず、みんなで山の展望台まで登ることができた。

しかし、下山中に思いがけず、子どもたちの足が止まってしまった。道が二手に分かれているのだ。登ってくるときは上へ上への気持ちで、気にならなかった分かれ道だが、どちらへ行くか迷い、快調だった足どりもピタッと止まってしまった。

そこで子どもたちはみんなで話し合う。

「登ってきたこの道を行こう」

「こっちの方が近そうだからこっちがいい」

「通ったことがないから怖い」

「どちらでもいいから早く帰ろう」

「こっちは急だからあっちにしよう」

たくさんの意見が出て、動かないままおそらく二十分くらいは経っただろう。そして、多数決にしようという意見が出た。

多数決の末、「早く帰れそうな道で帰る」という圧倒的多数に対して、「来た道を安全に帰りたい」という子どもは一人だった。そんな結果から進む道は決まったかと思ったが、そうはならなかった。

ある子どもから、「それでは降りるのが恐いと思っている子がかわいそうだ」という言葉がでたのだ。これには驚かされた。

日常では多数決で決まることが多い。そして、少数意見は聞き流されしまうこともよくあることだ。普段の学校生活では学年や性別、力関係などがあるかもしれないが、ここにそんなものはなかった。ひとりひとりがお互いの言葉に耳を傾け、みんなが納得する道を選んだのだった

そして長時間にわたる話し合いの末、みんなで安全に帰りたいという全員の総意で進む道は決まった。

みんなで囲んだキャンプファイヤー

キャンプといえば、キャンプファイヤー。しかし、皆さんが想像するような大きなものではなく、薪二、三本がぱちぱちと燃えるような小さな火をみんなで囲む。

春先の信州はまだ寒く、火のそばから離れられないほど暖かい。ゆらいでいる火を見つめ、お菓子を食べたり、おしゃべりをしたり、物思いにふけったり、温かくて眠くなってきたり、子どもも大人も関係なく火を囲んだ。

キャンプに集まるまではお互いのことを知る由もなく、みんなが初めて会ったばかり。にもかかわらず、最初に見せた緊張の面持ちはとうになく、みんなの笑顔が明るく火に照らされている。焚き火を見ながらふと考える。

火熾しや野外調理などいろいろな体験してほしい、たくさん友達を作ってほしいといった大人の思いは、子どもたちには関係なかった。子どもたちは楽しみたいだけ楽しみ、悩むときもみんなで相談し解決をしてきた。

子どもたちには自然の中での困難をも乗り越え、人間関係を築いていく力があるのだと実感した。何もないところから、子どもたちは楽しみを創造することができる。大人も持ち得ない力を持っているのだと、子どもたちから教わった。

焚き火に照らされるみんなの表情は、とても輝いていた。

子どもたちの力を信じたい

大人として、子どもたちに自然の中でいろいろな体験を提供することは大切なことだと信じている。しかし、子どもたちから多くを教えてもらったのは、わたしの方だった。

登山道では、話し合いなら多数決で決めれば公平だという勝手な思いも間違っていると、子どもたちに教えてもらった。

キャンプファイヤーを体験から学んでもらうつもりだったが、いざ、その火をみんなで囲んでみると、いろんなところで新しい発見をし、何もないところから創造をする子どもたちの力にふと気がついた。

寝袋やテントで寝て、焚き火でご飯を作り、テレビやゲームなどもないキャンプという非日常生活の中で、子どもたちは思う存分遊びまわった。子どもたちの力を間近で感じることができた。

「大人が子どもに教える」という常識がある。もちろん、それは事実であり、大人の大切な責務でもある。しかし、その常識がときとして、子どもたちの自由な本当の姿を曇らせて見えなくすることがあるのかもしれない。何より大切なことは、むしろ「子どもたちを信じること」ではないかと、今回のキャンプでつくづく考えさせられた。

これに懲りず、また子どもキャンプを実施しようと思う。また子どもたちに混ざって一緒にキャンプをするのが楽しみだ。

page up