西村古珠和尚が住職した大徳寺派宝林寺の庭(兵庫県たつの市)

西村古珠師講演『日日是好日』-1

西村 古珠
2021/4/8

編集部より:この講演録は、東日本大震災直後に行われた故西村古珠和尚の講演(平成23年4月18日 小田原市 昌福院様本堂にて)を元に寶林寺様で制作された冊子の内容を、故人のご夫人であります西村洋子様のご承諾を得て、転載させて頂いたものです。(全3回)

西村古珠和尚について→


今日はようこそお参りをいただきまして、ありがとうございます。兵庫県のたつの市から参りました、西村古珠と申します。しばらくお付き合いのほどを、宜しくお願いいたします。

今日は、「日日是好日」ということで、お話をさせていただきます。

とは申しましても、例の大震災(東日本大震災)もございました。私は兵庫県におりますので、地震があったことさえも気づかなかったくらいのんきな思いをしておりましたが、大変な災害が起こってしまいました。

「神も仏もないものか」という思いの方も大勢いらっしゃるかもしれませんが、本当は神も仏もないのですね。

どういう事かと言いますと、神様や仏様にお祈りをする、あるいはお供え物をする、またはお勤めをする。そして、自分の幸せを願う。自分の家の子孫が繁栄するように、商売が繁盛するように、病気にかからないように、無病息災、家内安全、商売繁盛、そのほかにいろいろと願い事があると思いますが、そんな自分の幸せを叶えてくださる様な仏や神は、いないのです。

もしそんなものがあるとしたら、それはインチキと言われても仕方がない。そんなものは、いないんだ。どんなに高くて立派なお札やお守りも、壺も水晶玉も、何の役にも立たないのです。

人間が生きていく、今日を生きていくということは、本来苦しいことなのだ。これが、お釈迦様の教えの出発点なのですね。生老病死とよく言いますが、生まれて老いて病気になって死んでゆく、人生はそんなもんだ。本当は苦しいものなのだ。

そこで、「最後まで苦しいものなのか。その苦しみから逃れる道はないのか」ということを、お釈迦様が2500年前に、一所懸命に悩まれた。そして修行されて、「そうじゃなかった。苦しみから逃れる方法があった」ということをお悟りになった。

そのお釈迦様の教えが「仏教」。お釈迦様が「こういうふうに生きて、歩いていけば良いのだよ」と教えて下さった道が「仏道」なのです。

そういう意味での「仏様」は、いらっしゃる。「今日の苦しみから逃れるために、どのように生きていったら良いのか」ということを教えてくれるのが、仏教という教えの一番大事なことでありますので、ここはしっかりお話させていただきたいと思います。
 
→その2へ続く
 

page up