今のところは【7】〜能登半島地震

この連載は、松本市神宮寺様の寺報『山河』に掲載された禅人代表・山田真隆執筆のテキストを、谷川住職のご協力を得て転載したものです。
※今回の記事は2024年・夏号(7月1日発行)に掲載されたものです。
再び地震
先年(2023年)夏の『山河』(今のところは【5】~不安と安らかさ)にも能登地震の事を書きましたが、今回また書くことになりました。それも先年の事ではなく、新しく起きた本年(2024年)1月1日の地震の事です。
先年の地震とは比べものにならない大規模な地震、公式には珠洲市は、最大震度は6強となっていますが、実際体験した私からすると、とんでもない間違いだと思います。一体どういう計測をしたらあのひどい揺れが震度6強なのだろうと。
私の寺は震源地から4キロほどしか離れていないので、その分の揺れの激しさを差し引いたとしても、全く納得がいきません。観測上では震度は7が最大で、それ以上の設定はないそうですが、先年5月の地震が震度6強であったことを土台にすると、まったく勘定があいません。
震度7の先があるのだとすれば、今回は震度8や9でもいいぐらいの、ものすごい揺れでした。

当日のこと
その当日、本震の5分前ぐらいに震度5強の余震があり、その影響を本堂に見に行った私は、震度不明の本震に見舞われて、逃げるしか手立てがないにも関わらず、すさまじい揺れと、崩れてくる壁の粉塵で視界が効かず、立って逃げることもできない状態から、這って家内と本堂から何とか脱出しました。
揺れはおよそ2分間続き、私たちが本堂から外へ出た後も長く揺れていました。その揺れ方から本堂は倒壊すると思いましたが、何とか耐えてくれました。
揺れが収まって家族の無事を確認に庫裏《くり》の方へ戻ろうとしましたが、廊下には普段なら仕舞ってあるはずのものが散乱し、足の踏み場もない様子。そこを無理やり、物を乗り越え押しやり通って、家族全員の無事を確認しました。お互いに命があったことを喜びました。
無事が確認できると、その日の夜のことを考えなくてはなりません。本堂から庫裏に至るまで、中は到底人の住める状況ではありません。
また、地震の起きた時刻が夕方4時過ぎ、無事が確認できた時点で4時半頃、もうあたりは薄暗く、とても片づけできる状況ではありません。2キロほど先の避難所に行こうにも、すぐ前の県道が崩れてどこにも行けません。いわゆる陸の孤島状態です。
もうそうなると無事だった車で車中泊するしかありません。夕食は、事前に作ってあったすき焼きを食べました。本当はもっと楽しく平安の中で食べるはずだったのですが、部屋の中には入れないので、寒空の下、懐中電灯の明かりを頼りに食べました。それもある意味一生の体験と言えるのかもしれません。
食事を終えると、2台ある車に分乗して泊まりました。車内は寒く狭く、とても熟睡できるような場所ではありません。
夜の間も10分に一度か二度の間隔で余震が来ます。少しウトウトしてもすぐに目が覚めるつらい夜でした。ほとんど寝ることはなく翌日を迎えました。

地震で困ったこと
地震というのは何が恐ろしいのかというと、揺れの破壊エネルギーはもちろんですが、どちらかと言えば私は、揺れの後のほうが恐ろしいと今回初めて感じました。
それは、物を壊して人の命を危険にさらすだけでなく、人の命を簡単に奪う要素を無数に作るところにあると思います。
安全な日常生活の至るところに、震災の後は危険が点在するようになるのです。そのような危険から住民をできるだけ遠ざけることが、いわゆる災害復旧ということが言えると思います。
震災後の危険、最大の問題はトイレでした。電気・水道が止まった状態では、通常の水洗トイレは使えません。となると野外でするしかありません。この野外でするという行為が、ジワジワと精神的に人間を苦しめます。日数を重ねていくと、人が人でなくなっていく感覚というか、人の尊厳を奪われていくというか、自分が嫌になってきます。
私が専門道場で修行していた時、その道場のトイレ(東司《とうす》といいます)は汲み取り式の昔ながらの粗末なつくりでしたが、それでも先述した自分が嫌になるという感情に至ったことはありません。
人間がトイレで用を足すという当たり前のことは、私たちが思っている以上に人間でいるために必要なようです。
また健康面での話でも、先の理由からトイレに行く回数を減らそうとして水分を取らなくなります。そして、被災者は1日中避難所の冷たい床の上に座っています。すると血栓ができて血行不良が起こり、健康障害になるということがあります。
これは今までの大きな震災時に指摘されていたことでもありますが、今回の能登地震に至っても、ほとんど解決されずに被災者の前にいまだに立ちはだかっている問題です。
いつものように水分を取って、そして十分に排便できる環境づくりが極めて重要です。人間ですから食事も重要ですが、より先にトイレが必要になることは、意外と盲点になっていると思います。
地域で避難所の設置準備をされる際は、是非この点に留意することが肝要と思います。確かに簡易トイレなどの、被災用の市販されているものもありますが、近くの避難所では特にお年寄り方には使いにくいようでまともに使われていませんでした。
それに今回のような、水道の復旧が数か月にも渡り極端に遅い場合、簡易トイレを長期間使って生活するということは、そもそも無理があります。普段備蓄するにも限りがあります。結局のところ、行政が中心になって各家庭、各地域、避難所での汲み取り式トイレの整備を震災対策で進めるべきだと考えます。

躊躇なく離れることの大事さ
実体験を基にして言えることは、「危ないと判断したらその場から躊躇なく離れること」です。これは揺れている最中だけの話ではなく、揺れが収まった後の避難生活でもそうです。
珠洲市は、5か月以上経った今でも水道は復旧していません。正確には、本管には通水していますが、各家庭への引き込み工事が数か月の順番待ちが続いている状態で、まだ当分水が使えません。街の風景も、解体や片付けも進まず、この原稿を書いている5月下旬の段階で、1月1日のままです。
石川県や奥能登各自治体行政の機能不全も依然として続いていて、事後人災の様相をも呈しています。そんな事態では、もはや地震の影響のない地域に避難するしかありません。
そういわれても、特に寺院の方は地域の人とつながりが広く強いため、躊躇する人が多いと思われますが、寺族やお寺を最終的に守ることにつながるので、いざというときは行動するべきだと思います。
その結果、どこかの誰かが必ず非難します。寺を離れ、檀家を置いていくなんて僧侶の風上にも置けない、などの批判が必ずあります。そんな言葉には一切耳を傾ける必要はありません。なぜなら地震による苦境を体験していない批判は全くの的外れだからです。
事実、同じ体験をして避難所にいる全体の半数ほどの吉祥寺の檀家さんには、自分が寺を離れることを伝えても、誰一人反対をする人はいませんでした。