「放下著」~下せないなら担いでいく(4)
連載『「放下著」~下せないなら担いでいく』(全5回)は、禅語「放下著」を読み解いていくシリーズです。趙州和尚が、迷いを捨て去ったと主張する弟子に言い放った「放下著・下ろしなさい」という言葉。そして、それでも納得出来ない弟子を導いた「担いでいけ」という教えの真意とは?
第1回はこちらから!
幸福や豊かさといった目的をもって人生を生きていると、時に思わぬ落とし穴に落ちると先に述べました。そしてそうなった時ほど、今回の「放下著《ほうげじゃく》」が効いてきます。
詩人・吉野弘に「豊かに」という詩があります。
「豊かに」 吉野弘
塚本正勝さん/四十五歳/元・三井三池炭鉱の優秀な採鉱夫/現在/大牟田労災病院で/
四十四人の同僚患者と共に/神経機能回復のための/訓練の日々を送っている/
昭和三十八年十一月九日/第一斜坑で大規模な炭塵爆発事故発生/一千四百人の被害者中/
九百四十人は救出されたが/内、八百三十九人が/一酸化炭素中毒のため神経機能麻痺。/
大部分の人は/治癒の見込みのないまま/現在まで/十年間のうつろな時を積みかさねている。/
療養所の一室で/塚本さんが今/他の患者さんと/言語機能の回復訓練を受けている。/
文字を書いた紙が/左右の黒板に何枚かずつ貼ってある。/その中の二枚を一組にして/意味の通る言葉にする。/
塚本さんが椅子から立ち上がった。/その背に、同僚の声援と拍手が飛んだ。/右の黒板から/
「豊かにする」と書かれた紙を剥がし/左の黒板の前に立ち/少し考えて/「苦労を」と書かれた紙の下に貼りつけた。/
-苦労を・豊かにする―。/塚本さんが/陰にいるもう一人の塚本さんの手を借りて/
自分の運命を正確に揶揄してみせたかのように。/
馬鹿笑いをする患者がいる。/「いいぞいいぞ」という患者がいる。/「ちがうぞ」と怒鳴る患者もいる。/
塚本さんはニコニコして椅子に戻る。/「豊かにする」筈だった/「くらし」は/置き去りにされて。/
食べ盛りの三人の子をかかえ/奥さん・みすえさん(四十五歳)は/この十年/ずっと働き通しだった。/そして淋しく笑う。/
「主婦ちゅうもんは、大体、男に頼って生きとっとです。それが、頼れん男になったとですよ。」/
塚本さんは成長した長男の結婚を知らない。/
「西洋剃刀だと、よく血ば出すから」/と電池剃刀を贈ってくれた次女を/知らない。/
奥さんから何度聞かされても忘れてしまう。/
被災から十年/いつまで療養所にいなければならないか/本人も家族も/医者も、知らない。/
療養所のグランドで/塚本さんが/他の患者たちと野球をしている/まぶしい陽射しに眼を細めながら。/
これまでの十年と/このあと自分に残された時間のすべてで/「苦労を豊かにする」/
と証言したことも知らずに/受けそこねた運命みたいなボールを/笑顔でおいかけている。/
この詩の主人公・塚本さんが意図せず示した「苦労を豊かにする」という言葉とその背景に、それを目にした私たちは、ほとんど立ちすくむしかなく、気持ちの行き場の無さに途方に暮れます。
それは、塚本さんが本来選ぶべきで選びそこなった「くらしを豊かにする」という言葉が、私たちの中にあまりも定型的にとどまっている価値観を、ひっくり返したからではないでしょうか。
くらしを豊かにするために、いい大学に行き、いい会社に入り、いい給料をもらい、いい家に住む、誰もが持つ人生の目的です。その目的のレールが逸れて、しかもレールに戻る兆しもない、そんな塚本さんが知らずに選んだ「苦労を豊かにする」という強烈な言葉は、豊かさが願わしいものであるかを問うに値するでしょう。
豊かさ、幸福が、当たり前のように願わしいと考えている私たちにとって、きつい一撃を加えてくるようです。
私はこの詩が「放下著」の問答のように見えてなりません。
仏法上の幸福である悟りを求める善信は、豊かさを人生の目的としてとどまっている私たちに見えます。
そして善信に対して「放下著・下ろしなさい」と教示する趙州は、「苦労を豊かに」という言葉を提示した、この詩の主人公・塚本さんです。
塚本さんに、「一物不将来」にあたる、私たちの幸福、豊かさへのとどまりを下ろせと言われているように読めて仕方ありません。
また穿った見方ですが、「豊か」という言葉には、必要量をはるかに超えるという意味もあります。そんな豊かという概念に対して無批判に欲求していることを、どこかの時点で見直すべきでしょう。
のちにこの詩を、かの谷川俊太郎さんが見て、その感想が書かれた谷川さんの手紙に、
「“十年のうつろな時を積みかさねている”の“うつろな”が少々引っかかる。果たして、うつろであるかどうか、そう言い切れるかどうか、他者には決してうかがうことができぬ内面が人間にはあるのではないかと感じさせられるのです。」
とあったといいます。
この詩を読んだ私たちは、吉野さんが記した「うつろな」という表現について、この詩のあまりの絶望感に自ずと同じ「うつろな」印象を持ってしまいます。
でもそれは谷川さんのご指摘の通りで、本当に塚本さん本人が「うつろな」時を過ごしていたのかどうかは、わかりません。
たしかに塚本さんは、一般的な幸福や豊かさといった価値観から外れた暮らしになってしまっている。だからといって、それがそのまま不幸かというと、そうとも言いきれません。自分の人生の価値は、他人が判断するものではなく、自分次第で決まるからです。
とどのつまりは「放下著」の問答にあるように「担取し去れ・担いでいけ」のように、どんな人生でも、自分で自分を担いで救っていくしかないのです。ひょっとすると、塚本さんは私たちよりよほど自分の救いを全うしているのかもしれません。
(第5回に続く)





