お薬師さんの心

私が住職をつとめる林昌寺には、代々伝わる秘仏として薬師如来《やくしにょらい》がまつられています。薬師如来はお名前に「薬」の字があるように、病気やけがを負った人を癒してくださる仏さまで、地域の方々からは「お薬師さん」と呼ばれて親しまれています。
私が小さいころ、ケガをした時に、先々代の住職である祖父が「オンコロコロセンダリマトウギソワカ、オンコロコロセンダリマトウギソワカ……」と唱えながら、よく傷をさすってくれました。そうすると、どういうわけか痛みが少し和らぐのです。この「オンコロコロセンダリマトウギソワカ」とは、お薬師さんの真言《しんごん》で、病気平癒のご利益がある秘密の言葉だとされています。
その当時の光景を思い返してみると、実に不思議です。いくらお薬師さんが病気やけがを癒す仏さまとはいえ、実際にお薬師さんが目の前に現れたわけでもなければ、ケガ自体も治ったわけでもありません。それなのに、痛みが和らいだ実感は確かにありました。
この体験を踏まえて思うのは、「お薬師さんはどこか遠くにいらっしゃる存在ではなく、実は身近にいるのではないか?」ということです。
一般には、お薬師さんは仏像として形に表されていることが多くあります。実際に林昌寺でも、自身や身近な人がケガや病気、心の不調などで悩んでいる時に、皆さんお参りに来られ像に向かって祈りをささげます。しかし、仏像が心身の調子を癒してくれるのかと言えば、そうではありません。
祈りをささげるという行為を通じて、誰かの痛み・苦しみに思いをはせること、それ自体に大きな意味があります。この「誰か」には、自分自身も含まれています。誰かが自分に思いを寄せてくれているという事実は、私たちに安心感をもたらし、結果としてめいめいの心が自ずから安らいでいくのではないでしょうか。実は、お薬師さんの像の姿とは、その心を形に表したものなのです。
例えば私がケガをした時、「オンコロコロセンダリマトウギソワカ」とさすってくれた祖父の真言を唱える優しい声と、私のケガをいたわるまなざし、「大丈夫か?」という気づかい――そのような「他者を慈しむ心」があったからこそ、私の心が軽くなり痛みが和らいだのだと思うのです。いわば、私にとっては祖父がお薬師さんでした。
お薬師さんのご利益の正体とは、実のところ私たち一人ひとりの慈しみの心の力に外なりません。そう考えると、私たちはお互いに「誰かにとってのお薬師さん」になることができるのでしょう。
そのことをさらに深く感じとることができるお話があります。それは、詩人・宮沢賢治の詩「永訣の朝」(※註)に関わる、賢治と妹とのエピソードです。
賢治には、とし子という妹がいました。しかし、とし子は24歳で病気で亡くなってしまいます。賢治はとし子の最期を看取っているのですが、その別れ際の様子をうたった詩が「永訣の朝」です。
詩の背景を少しご紹介しましょう。みぞれの降るある冬の朝、とし子は高熱にうなされながら、賢治にあるお願いをします。それは、「外に降っているみぞれを食べたいから、取ってきてほしい」というお願いです。
賢治はすぐに外に飛び出して、お茶碗にみぞれをすくってとし子に食べさせてあげました。その時の賢治の心境に思いをはせると、「この子の病気を治すことはできないけれど、別れゆく妹のために何かしてやりたい。安心した心で旅立ってほしい。」そんな切実な願いと慈しみの心があったのではないでしょうか。
賢治の切なる願いのこもったみぞれを口に含んだ瞬間、とし子は本当に安らかな気持ちになったことと思います。すなわちこの時、とし子にとって賢治は、心を癒してくれるお薬師さんでした。
一方で、少し視点を変えてみますと、賢治にとっても、とし子はお薬師さんだったのではないかと思うのです。
賢治のその時の心情を想像するに、少なからず葛藤があったと察せられます。愛する妹が苦しむのを目の当たりして、何かしてあげたいけれど何もできない自分がいる。もどかしさに今にも胸が張り裂けんばかりで苦しい――そう思っていると、妹からは意外なお願いがありました。「みぞれを取ってきて」、と。
その時の心情を、賢治は「永訣の朝」の中でこのように描写しています。
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
何もできず心苦しさにもだえる賢治は、とし子の何気ない一言でどれほど救われたことでしょう。この出来事は「わたくしをいっしゃうあかるくする」と表現されるほど、賢治の心の転換を促しました。
つまり、とし子もまた賢治にとってのお薬師さんであり、賢治がとし子の心を癒すと同時に、実はとし子からも癒されていたと言うことができます。賢治ととし子は、お互いにお互いの幸せを願いあう慈しみ深い気持ちを日ごろから持っていたのだろうと思います。
だからこそ、「妹からのささやかなおねだりに兄が応える」という、一見すれば何の変哲もないやりとりの間にも、二人にとっての心の救いが生まれたのではないでしょうか。
誰かが自分を慮り、祈るような気持ちで気にかけてくれているという事実は、私たちに大きな安心感をもたらします。
「いつも互いの幸せを願う慈しみ深い心」こそがお薬師さんの心であり、私たちはどんな時でもお互いの幸せを願い合うことができる素晴らしい心を、一人ひとりがもともと持っているのだ、と気づくことが大切です。
「オンコロコロセンダリマトウギソワカ……」と祖父がかけてくれた真言が、その優しい眼差しが、大切な思い出として今でも残っています。賢治にとってのとし子がそうであったように、この時の私は祖父にとってのお薬師さんになり得ていたのでしょうか?今になって省みることしきりです。
お互いに他者を慈しむ心を持ちながら、日々を過ごしていきたいものですね。
(※註)
「永訣の朝」全文
けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨《いんざん》な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
(あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜≪じゅんさい≫のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀《とうわん》に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつぱうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
(あめゆじゆとてちてけんじや)
蒼鉛《そうえん》いろの暗い雲から
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになつて
わたくしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまつすぐにすすんでいくから
(あめゆじゆとてちてけんじや)
はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
……ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまつてゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまつしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびやうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(うまれでくるたて
こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになつて
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
*出典:『宮沢賢治全集1』(ちくま文庫、2010年)